皆さんこんにちは。見て頂き嬉しいです。猫好きランナーと申します。
そして、おめでとう自分。
2025年1月30日に32歳になりまして、ちと遅いですがこの1年間や自分のこれまでの人生で気付いた事を再度振り返ってみようと思いまして。
こちらが、自己紹介文
「「今の私と過去の私がガッチャンコ」~未来の私をガッチャ!!~」
去年の誕生日の思い出
悪い事も良い事もあった1年間
結局、「人間万事塞翁が馬」。
良い事があれば、悪い事もある。
失敗もあれば、成功も両方ともあった一年間だったかなと。
会社では、上司から「君の長所が分からない」と言われ、100回以上は心の中で「会社辞める?辞めない?」を繰り返したり、家庭菜園ではトウモロコシも小豆も全く上手くいかない。
「どうしよう?」と思って、今やるべきことにフォーカスして必死に影で練習していたプレゼンが社内・外で評価され、小豆を植えた後に大根が上手くいった。
霧がかった中を曲りなりに足元だけは見えていたので、手探り状態で一歩一歩進んできましたね。
いつも答えは自分が握っているはずなのに、何かいいモノがないかを探してしまいそうになる。
誰かに答えがあると思っても、結局誰にも答えは分からない。
なので、誰かにすがりたくなる時は、自分の心の中の「悪魔」と「天使」に、「これからどうしたい?」って聞きますね。
「悪魔」はいつもマイナスな事ばかり言いますが、「天使」はいつもプラスな事を言います。
恐らくこの良く分からない討論が自分の頭の中で1年中繰り返されています。
そんな時は、「答えはきっと自分の中」を信じて未来に起こるかもしれない事も雑念も捨てて、無になります。
そしたら、思考がクリアになって「今」本当にすべきことが分かる。
このことって、私がどん底にいて自問自答していた時に身に付けた事ですが、常に時間は「今」を起点に流れていると思っています。
やっぱり一番どん底の時って色んな事を教えてくれるなって思ってます。
話が少し変わるのですが、皆さんは「理解する」の本当の意味って分かりますか?
英語で「understand」ですが、「under」と「stand」に分解されるみたいです。
「under」は底、下を意味し、「stand」は立つを意味します。
つまり「理解する」とは「下に立つ」を意味します。
きっと理解するの本当の意味は「下に立って様々な物事を見ている時に誰かが気付けなかった事に気付ける。」という意味じゃないかと思います。
だからこそ「どん底にいる時が本当の人生が始まる時」だと思っています。
私の人生も大学卒業前で寝たきり状態から始まったのかなと思っています。
あの頃は起きるのですら私にとっては難しかった。
脚が動くのなら脚を何とか動かして、家から出る事ですら出来ないのなら玄関まで行くだけを目標にしていた。
霧の中を脚しか見えなかったので、どこに向かへばいいかも考えずただ歩いている感覚。
右も左も分からない中で何も無いならば、空っぽの自分を受け入れてきた、無知を受け入れてきた。
「安定」とかいうのは全くなかったので、先ずはアルバイトを始めて、派遣になり、後ろ指をさされても前向いて零細中小に何とか入って今がある。
世間は自分を負け組と言ってこようが、そんなものはゴミ同然と思っている。
どちらかというと、自分自身の魂に恥じない生き方の方が価値があると思っている。
32年間生きてきてやっと分かった事
①、「結果を求めるものは、結果からも逃げられる。」
人生に何度も躓いてやっと分かった事。
私もそうだが、誰でも人生の答えを知りたがっている。
だからこそ色んな情報を集めてインプットとアウトプットをするが、結局マネした張本人は分かった気になっているだけ。
そして、上手くいかなくなったら一言
「どこから自分の道は間違っていたのかな?」と言い始める。
その答えは、自分も含めて自身で行った選択だったという事を忘れている。
簡単に答えを求めた結果、誰かに取りすがってモヤモヤし続ける。
本当の答えを知りたければ、簡単に見える答えや道を選ぶのではなく、険しい道を選択した方が良い。
教えてもらうのであれば、険しい道を突き進む方法を教えてもらった方が良い。
友を作るのであれば、険しい道を登る友を作った方が良い。
もしもいないならば、一人で道なき道を孤独に進んだらいい。
どんな困難に苛まれても「これでいい、これが私が出した結果」と誇れるようになる事。
そしたらきっと自分だけにしかない言葉で多くの人ではなくとも、たった一人でいい。
たった一人の人生を180℃変える事が出来ると思います。
②人が死ぬのは簡単。生かし続ける事の方が難しい。
やっぱり最も難しい事は、人を生かす事。
この国では戦争が起こらないのに人が勝手に死んでいく。
死ぬのは簡単でも、この時代を生き抜くのは難しい。
ましてや自分以外の他人に生き抜いてもらおうとすれば、それ以上の根性と覚悟がいる。
正直、自分を見つめ返すだけでも大変なのに、他人の事なんて考えられない。
ましてやちっぽけな人間一人に出来る事なんてたかが知れている。
それでもちっぽけでも小さな力でも人を殺すことも、人を生かす事もできる。
出来れば、人を生かすためにその力を使っていくことが大切だと思っている。
③「痛みの無い人生に意味はない。痛みを乗り越えた先に、本当の人生が始まる。」
痛みを乗り越えて(?)、何とか生きている自分が何度も躓いて泥水すすってきてやっと分かったのは、痛みから逃げてきた人生を生きてきた人の言葉と痛みを大切にしている人は、言葉の重みや深みが全く違う。
腹の底から湧き上がってくる言葉が全く違う。
痛みから逃げてきた人生を生きてきた人が発する言葉は、薄っぺらい感じで、痛みを大切にしている人は不格好で迷いながらも心の琴線を振るわせて感動をくれる。
結局どんな痛みもその人の人生を彩ってくれる大切なもの。
決して忘れる事はできないし、忘れてはいけない。
例えそれがボロボロで一番恥ずかしかった時だったとしても、不自由であったとしてもそこから這い上がろうとすれば、それは決して不幸ではない。
弱さを認めて強くなろうとするのは決して不幸な事ではなく、弱いままでいる事が最も不幸な事。
そして、これからも人生はどこまでも続いていく。
誰かが言っていた不可能を可能に変えていく、それが人生。
では、また。

