これまでのお話し
・大阪マラソンに一人で応援に行き、最終ランナーに感銘を受ける。
・京都マラソンでリアルタイムに山中先生に会い、あと少しの所で目標タイム(3時間30分)に及ばず、3時間36分でゴールする。
・次の大会のために会社での仕事も、マラソンの練習も頑張っていたが、走りすぎて怪我をする。←ここでは、この事について記載します。
京都マラソン終了後の後日譚
京都マラソンが終了して家に帰ってからも興奮しがちの私でしたが、次の日の勤務に向けて夜は10時頃に寝ました。
平日のルーティーンは次の朝5時30分頃起床。
朝ご飯を食べ、朝6時30分に家を出て、会社には朝7時30分に出勤。
業務は朝8時から夕方17時までです。
18時頃に家に帰ってきて、夕ご飯を食べ、ゆっくり走ってジムまで行ってストレッチをした後、ゆっくり走って22時頃には就寝します。
「朝から早いね。」
「前の日はマラソン大会だったのに、有給取らないの?」
「筋肉痛はないの?」
と言われるかもしれませんが、25歳と若いからなのか、なぜだかマラソン大会に出た次の日は足が痛いものの、筋肉痛で全然動けなかったわけではありません。
むしろ動かないと筋肉痛が無くならないくらいでした。
大会終了後の2日目以降相当な筋肉痛に悩まされていました。
大体1週間程経過してから筋肉痛は無くなり、土曜日に練習会へ行って大会の報告を仲間と報告し合い、ゆっくり走っていました。
やっぱり、4時間30分台から1時間短縮し、3時間30分台になったことは話題になりました。
確かにとても嬉しいのですが、3時間30分近くのタイムへ行けたのならば、3時間切りも可能ではないか?と思うようになったのです。
この1年で3時間切りできるのか?
私の中では焦りもありました。
就業しているのは、派遣であってずっと働ける状況ではありません。
いつ切られてもおかしくはないのです。
今のうちに再就活し正社員になるのか、大会の目標を目指すのか、どちらかを選ばなければなりませんでした。
どんなに人は夢から醒めないで欲しいと思っても、いつかは夢から醒めなければならない時が来ます。
また、誰にでも起こりえますが、楽しいことがあれば辛いことは必ず起きます。
それは光と影のように切っては切り離すことはできません。
なので、どちらかを選ばなければなりませんでした。
結果、どんなことがあっても大会の目標タイムを目指す事を最優先しました。
理由は、若くて体力があり、無茶ができるのは20代限定だと思ったからです。
「今じゃないといけない。」
その思いが更に私の気持ちを前へ押して、練習にもより一層向き合いました。
「マラソンに人生かけて大丈夫?」
と聞かれるかもしれませんが、結論から言いますと
「後悔はなかった。
これでよかった。
なんせ、安定はしているかもしれないけど、周りに流されてばっかりで、自分を持てない過去より、何と言われようが、不安定でも自分を持っている今の自分こそが本当の自分だと気付かせてくれたから。
もしも安定ばかりを選んで、結果誰かが引いてくれた線路ばかり進んでいたら将来何も残らない自分になってしまうかもしれない。」
コロナ禍になった今でも、あの時強く決意して良かったと心から思えています。
それ以降はこれまで月間走行距離は200~250 kmでしたが、300 kmに伸ばしスピード練習を行う時はこれまでは4分/1 kmだったのですが、3分30秒/1 kmのスピードに慣れるように練習していました。
3月になって調子に乗った
京都マラソンが終了してから2、3週間後のある金曜日。
いつものように18時頃家に帰ってきて、直ぐに走る練習をするのですが、その日は直ぐにスポーツジムには行かず、ジムと逆方向の道を約1 km程スピードをつけて走っていました。
そのコースはいつもと違い、下り坂と上り坂の両方があり、相当足に堪えるのですが、足腰を鍛えるのにはとても良いコースだったので、大体3分30秒程で走っていました。
いつも以上にスピードが上がり、気分も上がっていたので、気分はとても高揚していました。
ただ、いつもと少し違ったのは、アキレス腱あたりが謎に熱く感じていたのです。
しかしながら私自身は大して気にせずに、気のせいかな?と思っていました。
実際にスピード練習を終えた頃には足は何ともなく、次の日の練習会のために早く就寝しました。
土曜日の朝に長居公園へ行き、皆が集まる20分程前から少しだけウォームアップ。
挨拶後ペースに合わせて走り出しました。
その時は30 kmをキロ5分台で走る事を目標にして走り出しました。
26 km程走り終えた頃でしょうか。
突然右脚に全く力が入らなくなり、あれよあれよという間にスピードが出なくなってきました。
突然走れなくなって・・・・
何とかその日は30 kmを走り終えたのですが、少しストレッチをしたら脚は治ると思っていました。
しかしながら、実際の所脚は治らず、むしろ逆に激痛が走るほどでした。
少しずつ痛みが鮮明になるにつれて骨折したのだと思っていました。
しかしながら、レントゲンを撮って貰っても骨折した部分は見られませんでした。
どちらというと炎症しており、腫れて熱を持っていました。
なので、炎症している箇所に注射を打って貰ったり、飲み薬や塗り薬を貰って塗っていました。
その間はというと、走る事はなく、プールで歩いていました。
また、筋トレや体感トレーニングも取り入れ、脚力は伸ばせなくとも、走る時のバランスを維持する事を目的としました。
また、靴もボロボロだったので、靴も新調しました。
その時の靴はこちら↓

(今ではもう処分してしまいましたが、この画像を見るとふと、あの時良く走っていたなぁととても懐かしくなります。)
それでも痛みや炎症が収まって少しずつ走れるようになったのは7月頃っでした。
何とか1 km/4分45秒ぐらいで5 km程走れるようになっていました。
相当な蒸し暑さの中を走っていたので、練習する事がとても大変だった事を覚えています。
完治したのは9月。後3カ月もない!
そして、やっと完治したのは9月頃でした。
練習しだしたものの、余り走っていなかったので、走力が全く分からなかったので、1カ月毎の目安を立てました。
目安としては、
9月~10月:1 km/5分を30 kmで走り終える事。
10月~11月:1 km/4分30秒を30 kmで走り終える事。
11月~12月:1 km/4分15秒を21 kmで走り終える事。
上記を練習の目安としてフルマラソンの目標タイムは3時間15分切りを目指しました。
実際はと言いますと、
9月~10月:1 km/5分を30 kmは可能でした。
10月~11月:1 km/4分30秒を25 kmまでが限界でした。
11月~12月:1 km/4分15秒を15 kmまでが限界でした。
となりました。
ただ、ここまで来れたのは、あの時、怪我してもめげずに努力し、筋トレや体感トレーニングによる創意工夫があったからこそだと感じています。
以上が私が怪我をした時のお話しでした。
最後に
次回の予告ですが、私の最後のマラソン大会である大阪マラソン2019のお話し「夢を叶えて~例え未来が分からなくても、私は歩みを止めない~」をしたいと思います。
そして、永遠のライバルの山中先生との競走の決着がつく!
(※私の方が勝手にライバルと言っているだけで、山中先生は歯牙にもかけていません。)
果たして、目標の3時間15分切りは可能なのか?
次回お楽しみに。

