私鬱になりまして。〜精神科に通わずにうつ病から復帰した方法4選〜

日常

皆さん初めまして。見て頂き嬉しいです。

猫好きランナーと申します。

私自身過去に一度うつ病になり、精神病院に行かずに治した過去があるため、今回はこの記事を作成しようと思いました。

私自身もうつ病に苦しみ4、5年程苦しんだ経験があり、7,8年経過した現在は完治していますが、未だあの時の記憶は鮮明に残っており、昔の状態にならないために様々な事に気を使って試行錯誤している最中です。

もしも現在も前を向けずに苦しんでいる方のヒントとなればと思ってこの記事を作成しました。

この記事は下記の方にお勧めです。

・精神科医に通っていても、うつ病から復帰する事が難しいと感じている方

・夢中になれる事が無く、今生きる事が苦しいと感じている方

・やりたい事はあるのにまだ次の一歩を進めていないと感じている方

の少しのヒントになればと思っています。

このお話は、2014年私が大学3回生の頃から始まります。

なお、これまでの私の過去については、下記から

これまでの私とこれからの私の将来

第一章~講師からのパワハラ~この時から様々な物事が狂い始めた~

大学3回生の頃は半年間休学するぐらい毎日パワハラの嵐だった。

大学三回生の前期、私は大学の研究室の一室で報告会の時は、ほぼ毎日罵声を受けていたのを今でも覚えています。

毎日のように、「お前、 言う事聞けよ!お前何度も言わせんなよ!

等の暴言や机を脚や手で蹴られる・叩かれていました。

更には、他の教授からは「社会に出たら傷つくのは当たり前」だ等のことを言われていました。

その様子は、ガラス越しだったので、周りに簡単に知られてしまっており、後輩からは「あの人には味方がいない」と言われていました。

なぜ、このようになってしまったかというと、受験で失敗による1浪経験や1回生の時の先輩からのいじめや同級生との人間関係が上手くいかず、そのような出来事が積み重なり研究成果に支障が出て失敗し続けていたためです。

結果一人で悩み、自暴自棄になり、周りに八つ当たりし、研究でも何度も同じ失敗を繰り返してしまったからだと思います。

また、社会人になったら、怒られて、耐えて、毎日辛いけど乗り越えることが大切だと、そう思い込んでいました。

あの頃はパワハラの「パ」の字も知らなかった自分が悪いとは思うのですが、この経験はコロナ禍でも生き抜くための考えを教えてくれたという意味で、後に自分にとっては良い意味での教訓だったと思えています。

その後、祖母が学長に講師のパワハラを報告してくれたおかげで半年間休学させてもらい何とか4回生になれました。

ただ、休学した後も、雨の日は1日中何もできなくなったり、急に涙が出てきて睡眠中は何か小声でブツブツ口走ったりしていたこともありました。

特に集団に紛れ込むと騒音が説教を受けている時のように感じられ、発狂しながら集団を後にしたこともありました。

第二章~再起~人生が終わったと思ったその時、聞こえてきた言葉

一度は目の前が真っ暗になっても、生きるのが苦になっても、夢中になれる事を見つければきっと再起できる。

何とか4回生前期から大学へは少しずつ行けるようになりましたが、それでも動悸が激しくしんどくなることは多々ありました。

なので、大学院生や専門職への夢は経済上の理由や今の状況を勘案してあきらめ、就職活動を始めました。

それでも、理系に追従した仕事がしたいと思い、教育関連の仕事や飲食関係の仕事を希望しましたが、全落ちしてしまいました。

理由は、人間不信やコミュニケーション不足によるものです。

祖母の助けで講師からの態度が和らぎ、就職はできませんでしたが、事無く4回生は卒業できました。

その際、事務の男性の方から、「生きていろよ!と優しい言葉をかけられたのを今でも覚えています。

@nekozuki
@nekozuki

あの時優しい言葉をかけて下さった事務員さんありがとうございます。

卒業後、就職できなかったため、たこ焼き屋さんと塾講師のアルバイトを両立しながら就職活動していました。

時折、会社の面接に行きながら大学の事が頭から離れられず、「なんで自分だけがこんな人生なんだろう?

と思い、駅のホームに立ってボーっと線路を眺めていました。

その時、どこかの中学生が「死んだらあかんで、死んだらあかんで」(空耳だったかもしれませんが、)と少し遠くの方から言われたように思い、 はたと何を考えているのだろうかと思い、我に返りました。

そんな中学生の言葉のおかげなのか、やっぱり理系の職に就きたいという思いが再燃し、派遣社員としてではありましたが、大手の電解液系の製造職で働き始めることができました。

ただし、派遣社員は過去の事やうつ病のことに決着がついた後、辞めようと思っていました。

派遣社員として就業しながらも、大学生の時の出来事が頭から離れず作業中に手の震えが収まらなくなる事が時々ありましたが、時間がある時に職人の皆様が話を聞いて下さり、暖かい上司のおかげで少しずつ前を向いて自信を取り戻せるようになっていた私がいました。

また、アフター5では心と体を鍛えるためにジム通いも始めていました。

仕事にも慣れ始めた頃、会議で「コミュニケーションを更に活発にするためには?」

という議題が出されたのですが、

@nekozuki
@nekozuki

プライベートでも何かしらの集まりを作ってみる。

と提案した所、マラソンに参加してみないかと別の班の上司や先輩に提案していただけ、断る必要のなかった私はその時初めてフルマラソンを走るための準備を始めだしたのでした。

ただ、最初は観戦からという事で先輩が参加する奈良マラソンを観戦しに行きました。

最初は、

@nekozuki
@nekozuki

なんで、日曜日の朝っぱらの寒い時間帯から走りださなきゃいけないんだ。

と思っていたのですが、それは観戦していて愚問だったと感じるようになりました。

それは、走っている人々の姿を見て気づかされたことですが、過去の私は将来の事や過去の事ばかり気にしすぎてくよくよするばかりで暗くなっている事にも気づかずに毎日を過ごしていたせいで、自分自身で人生を複雑に更に難しくしてしまった為だと気づいたためです。

対照的にランナー達は今を強く生きています。

どの様な経緯で走っているかは人それぞれですが、未来や過去なんかはどうでもよくて、この時のために、ただゴールをするためだけに、ただひたすら練習を続けてきたのだと思います。

ずっとくよくよしていた自分が恥ずかしくなりました。

それと同時に、

@nekozuki
@nekozuki

走ろう。今この時から人生は始まる。ズタボロでもいいじゃないか。弱くってもいいじゃないか。鼻水たらして、泣きべそかいて、汗かいてもいいじゃないか。自分が嫌になるくらいアホらしくてもいいじゃないか。

と思い、同時に私の心の靄が晴れたような気がしました。

この時からもしも、砕けそうになったらいつでも心の中でこの言葉を思い出すようにしています。

また、フルマラソンを完走するだけでは、面白みがない。

一層のこと、思い切って自分でも勝手に無理だと決めつけていた事にも挑戦してみようと思い始めました。

そこで、フルマラソンの目標タイムを3時間切りを目指すと同時に、100 kmウルトラマラソンの完走も目標にしました。

そのための練習メニューは上司から誘われたクラブチームに属して練習しつつ、単独でも走り自分でメニューを決めていました。

何度かの小さな大会にも参加し、その度にタイムを伸ばしていたため、練習の成果を感じていました。

また、派遣社員としての仕事も頑張りつつ、マラソンも練習をし続け、大会では淀川マラソン、神戸マラソン、京都マラソンに出場し、ほぼ1年で自己ベストは3時間42分と目標に近づきつつある事を実感しました。

ただ、次の年は調子に乗ってしまい、もっと走りたいと欲を出してスピードをつけて走ってしまったため、脚を捻挫して半年間ほどリハビリを余儀なくされ、練習ができない日々が続きました。

そのようになった時は、体感運動をしたりと自分の今できる精一杯の事を行っていましたが、怪我で走れないもどかしさはどことなく、辛いものでした。

リハビリや体感練習の甲斐あって脚も順調に回復し、通常の練習にも参加できるようになったのは9月頃でした。

後3か月で大会本番という時に、

@nekozuki
@nekozuki

また、脚を怪我したら・・・どうせ出場しても目標は達成できない。一層の事、諦めてしまおうか。

と思い始めていましたが、今思うとあきらめず練習し、出場して良かったと思っています。

その理由は、コロナが流行り出す数か月前であり、私が出場できた最後の大会だったからです。

その大会とは、今でも忘れもしない大阪マラソンでした。

走っている最中、何度も心の中で「今年の自己新記録は無理」と思いながらも、挫けそうになりつつも、自己ベスト3時間24分を記録した自分の姿がありました。

確かに、目標は達成できませんでした。

しかしながら、自分の中で何かが大きく変わった時でした。

未だにゴールした時の記憶は一時たりとも忘れていません。

年が明けてコロナ禍となり、参加予定だった100 kmマラソン大会が中止に追い込まれたり、離職したりと大変な事が起き苦労しましたが、3時間切りのために必死に練習した日々を思い出しながら、今では持ち直し、過去の出来事を執筆できるようになったりと大忙しの毎日です。

また、いつかいつもの日常に戻って走ることができたらと、そんな日を今は夢見ています。

第三章 私が実践したうつ病の改善方法 4選

ここからは、私が実際に実践してうつ病を治した方法です。ヒントになれば。

将来の事でくよくよ悩まず、夢中になるものを見つける。

私も結局は一人の人間ですので、どうしてもという気持ちは分かりますが、悩んだところで何もできません(笑)。

明日地球が滅亡するかもしれないし、明日自分が死ぬかもしれない。そもそも悩むだけ無駄です。

直ぐに行動しないことには、物事は変わらないんです。

むしろ悩むなんて無駄な作業です(笑)。

悩むくらいだったら、疲れてヘトヘトになるまで大好きなことで遊ぶことです。

たとえ将来が見えなくても、今を必死に生きることができたら何ともなかったと思える事だってあります。

ダメな環境から逃げてみる。

(*念のため断っておきますが、最低限の社会人としての教養やその人に合うスキルは必要になってくるので、何も努力せず、何となく「嫌だから退職します!」は最早論外なので、ご了承願います。)

私自身も、振り返ってみて今でも反省していますが、自分にとって合わない環境にいるのはとてもつらいことです。

確かに日本ではどんな事でも「我慢」は大切だと考えられてきました。

しかしながら、上司や先輩、時には同僚からもいじめやパワハラで体を壊してまでわざわざその環境から逃げずにいたら、どの様になると思いますか?

体が資本なのにも関わらず、働く事もできず何年かの間働けず、さもすれば寝たきり状態に陥ってしまうかもしれません。

「ダメな環境」と「良い環境」の定義は人によって変わりますが、自分ならば2点は注意して職場を見ていますので、一つご参考に。

①仕事がどれだけ夢中な状態になれるのかどうか。

②尊敬できる先輩がいるかどうか。

私は、この2点から職場を見るようにしています。

運動してみる。

運動の中でも有酸素運動は特にストレス発散にいいらしく、特に必死に走った後に食べるご飯も風呂もその後の就寝も毎日嫌な事を思い出す日々から解放され、何事にも感謝することができ、毎日が幸せになれました。

また、自己受容にもなり、私は走り始めた時は絶対に無理と思っていたフルマラソン3時間切り(苦しくも、自己ベストは3時間24分だったが)にも挑戦できるようになりました。

外野からの声は無視する。

夢中で何かを行っていると、必ず外野からの声が聞こえてくる事があります。

私自身も、ランニングやジム通いしている時は、「遊んでないで」や「そんなにしんどいこと頑張ってどうするの?お前ドMか?」

正直、言いたい奴には言いたい事を言わせて無視しましょう。

心の中で、「あんたもストレスだとビールやタバコ、夜遊びで金使っているくせに、運動やランニングだけどうして差別されなあかんねん。むしろ走ったり運動したりする方が健康的だわ!」と思ってスルーするのが一番です。

最後に~伝えたい言葉3選~

・現在もパワハラや過労働で苦しんでいる方へ伝えたい言葉3選

あなたはあなたのままでいいんだよ。あなたが夢中になれる事を見つけて必死に向き合えば、道は勝手に開ける。

ただしんどいからという理由で、休んでいいんだよ。

不真面目でも、何者にもなれなくてもいい。

今の日本の状況はパワハラや過労働の問題に対して穏便になったとはいえ、どうしても水面下では存在しているのではないかと思う時があります。

なので、若くしてうつ病になった自分から言えるのは、何度も書くようですが、

辛いと思うなら、その場所から直ぐに離れるべきだ。生きていれば、あなたを大切にしてくれる場所がきっと見つかる。一番大切なのは、あなたの体だ。生きていれば、きっと大丈夫。」という事です。

もしも、今思い悩んでいる方の中で、見て頂いた方の少しの勇気になればと思い、拙文ながら今回のブログにさせて頂きました。

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