こんにちは。
皆様初めまして。猫好きランナーと申します。
見て頂きとてもうれしいです。
前回のお話は、うつ病から復帰後、私の適職の見つけ、どの様にして現職に至ったのかを記載しました。
前回のお話しについては、こちらから。↓
「私なりに自分を受け入れて、適職に就職した方法~これまでの私とこれからの私の将来 ②~」
さて、ここからは私の現職での近況報告(転職して1年経過してから)も含めて、私が再度過去の深堀りをして本当の自分に出会えたお話をしようと思います。
この記事を通して、
・過去に起きた辛い事に蓋をしてしまってモヤモヤした気持ちを抱えている方
・本当の自分の心の声が分からなくなってしまった方
・何がしたかったか分からなくなってしまって、生きずらさを感じている方
の心の支えになれたら。
少しでも、前を向いて人生を歩んでほしい。
拙い文章ではありますが、少しの時間お付き合いください。
塗料会社に転職してからの私の進捗状況~パワーワードは突然に~
塗料会社に転職後、技術職として就業していた私ですが、日々調色業務や代替試験の業務に追われていました。
入社してからは、「この会社は変わっている。」と言って、全社員数30人中、先輩が1年以内に2,3名程離職していくため、私の中では

大丈夫かな?この会社・・・。
と思っていました。
ただ、自分が決めて入社したので、離職率が高い職場でも長所を発揮する事が出来れば、問題ないと考えていました。
私が薄々理解できていた長所は、
①独創的で一人で1つの物事をコツコツする事
②周りの雰囲気を読んで、問題解決のための提案をする事
の2点でした。
現職では、プレゼン資料の作成、新規・既存の塗料を改良・開発する事、新しいアイデアの提案に繋げる事ができると考えていました。
ただ、現職は昭和的な文化が強く、良く言えば「安定」、悪く言えば「年功序列過ぎて、なぁなぁで仕事をする風潮にある。」と思っていました。
実際に塗料の売れ行きが悪くなってからも、考えや行動は変わらず、赤字続きなのが事実でした。
実験条件が毎回コロコロ変わってしまうため、何となくですが、問題は会社の上層部がお客さんの要求に振り回され過ぎているのではないかと考えていました。
そんな大変な中で、私自身はモヤモヤとしながらも、どちらかというと、

自分の実力を試すことができるのでは?
とも思っていました。
なので、現職での私の目標としては、
1.自分が会社の事を理解し、周りの職人の方にも自分の事を理解して貰う事
2.プレゼン資料を作成し、社内で評価され、お客さんに商品紹介をする事
3.商品紹介を通してカタログやパンフレットの変更に繋げ、会社の風潮を変える事
の3点を目標としました。
目標を決め、社内で商品紹介のプレゼンをし「面白い」と言って頂けたため、自分でも満足していました。
それと同時期に、上司から突然

「君の長所が分からない。」

え!どうゆう事?ちょっと何言っているか分からない。
と思っていました。
私としては、直にそんなことを言われても、私自身が自己表現し、上司自身が多角的な角度で私を見て長所・短所を理解していくものだと思っていました。
そういう意味で確かに「変な会社」なのかもしれませんね。(笑)
とはいうものの、自己開示や会社についての理解については、相当な時間がかかってしまう事が私の問題なのかな?とも思っていました。
上司の言葉の意味はともかく、

このまま、この会社に居続けていいのかな?
と思っていました。
そんな中、再度過去の深堀りを行い、会社選択で自分に間違いはなかったのかを考え始めたのでした。
過去の深堀り~悪魔との再会~
ここからは、再度私が覚えている限りの幼少期(0~10歳)の過去の記憶を思い出して、得られた事を記載していきます。
0~5歳まで 出身地:和歌山県から大阪へ ~掴んだ手を離さない~


再度始まりの場所にやってきたなぁ。思い出すのに結構大変だなぁ。
0~5歳の頃の思い出といえば、唯一「ダイヤル式の黒電話」が置かれていた事のみ。恐らくは、父、母、自分を繋げる象徴のようなものかな。(母子家庭なので、両親は離婚しており、母方の家族に私は引き取られている。過去のブログについては、こちらを参照。これまでの私とこれからの私の将来)
ここからは母から聞いて私が覚えているお話をしていく。
母はOLをしていて、お見合いで歯科医の父と結婚した。
父方の姑からは、「財産目当ての女」と言われていたみたい。
古い時代の人間なので、何をしても非難される何とも言えない時代。
そんな無茶苦茶な事があったため、母は離婚し、和歌山の実家から逃げようとしたみたい。
父方の舅からは「女が社会に出るのは危険だから、大阪の実家で子供を育てろ。」と言われていたそうだ。
離婚して和歌山の実家を逃げ出した時、私が母の手を掴んでいたため、母が私を連れて大阪の実家に戻ったそうだ。
ここまでが母から聞いた和歌山県の実家のお話。
5~10歳まで 過去のトラウマと酒と暴力 ~悪魔との再会~

母が離婚したとか、していないとかは私の中では「?」な事が多かったため、ただ「なぜ父親がいないのか?」と思っていた。ただ、そんな事を考えても仕方がないので、その疑問は湧いては消え、湧いては消え、自分の中で無理やり臭いものに蓋をし続けていた。
なので、無理やり蓋をすればする程、麻薬の様に誰かの綺麗な部分に触れて見たくて、自分にはないものを探していた。その相手の核に触れて安心したかった。
初恋の人は自分と同じ様に母子家庭の女の子だった。毎日笑顔だったので、「何故かな?」と思い、興味を持ち、自分の事を理解してくれると勘違いしていた。
自分を知ってほしくて、くだらない質問をして、振り向いて欲しかった。ただ、相手には見向きもされなかった。
母親はというと、この頃はヒステリックで、私が自由気ままに周りとは別行動をしてしまうと、発狂して耳をつねってきた。
この頃は、全く自分自身の境遇なんて分からないのに、何故に怒鳴られているかすら分からなかった。ただ、女性が一人で社会に出るのはこんなにも大変なものかと思っていた。
そしてこの頃、祖父から「あんたは、父親に捨てられたんだ。」というパワーワードはショッキングだった。
常に臭いものに蓋をし続けるので、不幸な事は続き、帰宅しては母がヒステリーで祖父母に怒鳴り続けるため、ある時家に来てお酒を飲んでいた叔父さんがヒステリーを止めるためなのか、母をボコボコに殴っていた。
後で母の顔を見ると顔がボコボコに腫れ、唇からは血が出ていて悲惨な状態だった。
母は仕事へは行かず、何日間かは休養を余儀なくされた。
そして、幼少期の自分はというと、その光景をただ見て泣いていた。
悪魔と一緒にこれからも ~君との約束を守り続けるよ~

気が付くと今までいた家族がいなくなり、泣いている幼少期の自分と大人になった自分と二人だけになり、すすり泣く声だけが空間にこだましていた。
すると、幼少期の自分が泣きながらこちらを向いて一言
幼少期の自分「どうして、忘れようとしたの?どうして理解してくれないの?僕では何も分からないことばかり。なのに不幸な事が起こってしまうの?何がいけないの?どうして、どうして、、、、」
それは、大きな闇になり。獣の様に自分に襲い掛かってきた。
そして突然に雷雨が降りだし始めた。
そう、「悪魔」とは幼少期に忘れられてずっと泣いていた幼い自分自身の事。

ずっと見たくないものを嫌々見せられて泣くしかなかった無気力な少年。
そして、子供のままでありたかったのに、「周りの大人」のせいで「周りに迷惑をかけないようにしないと。遊んじゃいけない。周りの空気を読まないと。泣いちゃいけない。本心を言っちゃいけない。大人にならないと。大人しくしないと。期待に応えないと。」と変な価値観を押し付けられて自分を押し殺していた過去の自分。
そして、大人になった自分が出来る事はたったの一つだけ。
子どもであり続けたかった自分自身を受け入れる事だけ。

分かった。君の全てを受け止めるよ。
依然として雷雨は止まないが、どこか少し闇が小さくなり始めていた。
その時私が思い出した事は、泥団子で遊んでいた小さな頃の自分。粘土を与えられて自分オリジナルな形に変えて遊んでいた自分。絵画の時間に絵の具の色を混ぜ合わせてはどんな色になるのかをワクワクしながら夢中に調色していた自分。音楽の時間に音符を適当に作ってはどんな音になるのかな?と思って遊んでいた自分。誰かに命令されなくても、ルールが無くても頭の中で想像したものを作って楽しんでいた自分。
そんな自分が大好きだった。
だからこそ、「勝手に手が動いてしまったり、組み合わせて頭の中がゴチャゴチャになる事」が、過去の自分がどんなに否定したとしても、誰かが叱っても無駄だった。
ルールや固定観念に縛られて、それに従う事自体が幼少期の自分自身を否定し続ける結果になってしまったと改めて気付いた。
指切りげんまん、嘘ついたら永遠に許さない。


もう苦しむのは止めにしよう。約束するよ。君の事を忘れない。過去の一記憶として、残したりはしない。
すると、雷雨は収まり闇は再度少年に戻っていった。
そして、少年は私に
少年「ずっと忘れていたんじゃないの?憎んでたんじゃないの?」

ずっと忘れない。受け止め続けるよ。
少年「そっか。じゃあ約束してほしい。僕は君の過去の記憶でしかないから、一生変える事はできない。誰かに助けてもらえず、孤独に泣いていた毎日も。でも、未来の子供達が希望を失わないようにしてほしい。たとえ、今が絶望の日々でも誰かが助けてくれるヒーローがいる事を。その約束を果たしてくれないと、僕はあんたを永遠に許さない。」

じゃあ,指切りげんまん。
そして、少年は自分と一緒にこの世界を生きていく。
少年の悲しかった過去を背負って、約束を果たすために。
いつの間にか空は澄んでいて、虹が掛かっていた。


急に時間が飛ぶけど、次の場所が一番記憶に残っている中で辛い場所だなぁ。
大学3年生(2014年~2015年)の記憶 ~ いじめとパワハラ ~

毎日が絶望だった。大学1回生のいじめの事が常に頭の中にあり、全ての事を一人で抱え込み、また自暴自棄になりの繰り返しで、報告会の時に研究室の講師から2時間以上の説教、ペンを投げられる、机を脚や手で蹴られる・叩かれた。
毎朝6時~7時ごろに起床し、8時に大学へ行き、23時頃まで実験をし、帰宅はクタクタになりながら25時頃に睡眠。
起きているのか、起きていないのかも分からない状態で次の日に大学へ行くため、頭の中は常にグチャグチャしていた。
気持ちの収拾が収まらない状態なので、担当講師からの指示を聞いても、何を言っているかですら分からず、指示と違った事を行っていたため、担当講師からは、「お前何度も言わせんなよ!」と言われ、机を叩く・蹴る等の暴言・暴力。
他の教授からは、「社会出たら傷付くのは当たり前だ!」等の事を言われていた。
その様子は後輩も知っており、「味方がいない。」とも言われていた。
そんな事が続き、1時間以上の鼻血が出て貧血になったり、説教を受けている時急に涙が出る、不眠症で眠れない等の異常が体に出だした時にようやく家族に言わなければと思い始めて報告し、そこで祖母が学長に報告する形で、半年間休学させてもらい何とか4回生になれた。
大学4年生(2015年~2016年)の記憶 ~ 幻聴と過呼吸と無意味な人生 ~

大学4回生で就活を始めたが、大学院や専門職への夢はパワハラ・いじめ・幻聴の後遺症により自分の中ではあきらめた方が良いと思っていた。
大学に復学してから、講師から直に「机を叩くとかはもうしません。」と言われ、依然として睡眠時間は5,6時間程度だったが、生活習慣は変わっておらず、幻聴や過呼吸はあったものの、大学へ通学していた。
少し時間が経った頃だったと思う。12月頃だったか、まだ就活が終わっておらず、精神状態は危ないながらも研究と就活を両立していた時に、あるニュースが私の耳に入ってきた。
それが、「電通過労死した高橋まつりさん」のニュースだった。
自分と同じようにパワハラと過酷な労働環境で過労死した電通の高橋まつりさん。
そのニュースを聞いた時に自分の心の中にポッカリと穴が空いたような空洞が広がっているような気がした。
大学生の頃の私「どうして亡くなった?」
と思っていた。
大学生の頃の私「自分だけ、ノコノコと生き残るのか。。。。嫌だな。。。。」
その後は、講師から特に何も言われることなく、卒業できたが自分だけあの頃から時間が進まなくなっていたような気がしていた。
また、卒業後も後遺症が強く残っていたため、線路のホームの前で猛然と立ちすくしている自分の後ろ姿があった。
忘れようとしていた約束 ~ 本当の生きる意味 ~


あの場所かぁ。生きている事が全く分からなかった時だな。
すると、何かに気付いたのか、あの頃の自分が振り返ってこう言った。
卒業後の自分「何もできなかった。。。。」

生きてたら、つらい事もあるけどいい事もきっとあるよ。
卒業後の自分「無意味・無気力。まつりさんは亡くなって法律になって、自分は何も出来ずにノコノコと生き続けてる。自分だけ取り残されていく。」

だったら、自分勝手に生きたらいい。弱くっても生きてみたらいい。
卒業後の自分「生きてても、皆不幸になっていく。また何も残らない。」

だったら、今度は僕達が誰かを不幸にしないようにすればいい。僕達がそんな場所を作っていけばいい。
卒業後の自分「どうやって?」

分からない、それは、君の生きる意志次第。
卒業後の自分「じゃあ約束してくれる?誰もが過去のまつりさんや僕達の様に苦しまなくてもいい世界を作っていく事を。」

約束するよ。今の僕達には難しくても、君と交わした約束を忘れない。
そして、目の前にいる過去の自分は「ふっ」と心の中に入って消えていった。
そして、これからも約束を果たす旅に出かけていく。
次の旅はいったいどこに…。
過去の2人との和解~私がこれからも進み続ける道~

幼少期の頃の自分との約束は、「遊び心のある自分でいる事、今でも悲しみを抱えた子供達を一人でも救う事」を、大学生の頃の自分との約束は、「誰も死なせない世界を作っていく事」で和解した。
ここから本当に叶えたい望みは、「固定観念に囚われて遊び心を無くした人々を、日々の小さな工夫で自他共に心と向き合い、誰も死なせない世界をつくる事」だ。
その実現手段として私が考えた事が、「仮面ライダー」「無農薬野菜の栽培」だ。
仮面ライダー~人生の多くを教えてもらったからこそ、今度は自分がヒーローに~

仮面ライダーを仕事にしたいとかじゃなくて、仮面ライダーが教えてくれた大切な事を今度は自分が伝えていきたいと思っている。
仮面ライダーはいつも自分に生きる道を教えてくれた。
自分が否定的になっている時でも、受け入れてくれた。
人生をいつも受け入れてくる教科書的な存在。
だから、大人になった今でも仮面ライダーは必要不可欠になっている。
だからこそ、今度は自分が他の誰かの助けになったらと思っている。
無農薬野菜の栽培~フードロス問題・後継ぎ問題・農地の減少を食い止めるため~

現在農地を借りて、野菜の無農薬栽培を行っている。
そこでは、年中無休で野菜を栽培している。
大変だが、自然に人生の多くを教えてもらえる。
元々は米農地だったため、水はけがよく、土にはミネラルや栄養分が豊富なので、とてもおいしい野菜が採れる。

【ヤングコーンを使ったサラダ】
上の写真は1例だが、それ以外にもこれまでにイチゴ、オクラ、小豆、ほうれん草、玉ねぎ、人参、小松菜、大根も栽培している。
多くのおいしい野菜を栽培させてくれる農地だが、最近近所の米農地がコンクリート詰めされ、車の駐車場になっていた事を知った。

【左側が元は米農地だった場所】
将来作物が耕せなくなり、フードロス問題がそこまで迫ってきているように感じる。
現在の少子化における農家の後継ぎ不足問題やフードロス問題は緊急事態だと感じる。
どうか、農家さんが居たら、声をかけてみてほしい。
手伝うとか大それたことはしなくても、少しだけ話をするとかだけでもいいので、話しかけてもらえたら、それだけでも農家さんは喜ぶと思う。
「この矛盾した我が人生」~自己理解は続くよどこまでも~
そしてこれからも必ず行わなければならない事が一つだけ。そう、自己理解。
自分自身を表現する言葉として、先ほども述べた通り、「優柔不断のヤバい奴」「さみしがり屋の一人好き」「社交性のような人嫌い」「頭の中はグルグルの糸でくるまっている状態」「天邪鬼」と一言で表すのが難しいぐらいの人間。
ポカンとしていたら、直ぐに意味不明な事になってしまう不思議ちゃん。
なので、常に自己理解をしておかないと魚が息が出来なくなるくらいの状態になってまた「モヤモヤな状態に元通り」になってしまう。
そういう意味で自己理解は自分にとって毎日のお風呂と同じくらいに大切だと感じる。
これからも道に迷った時は自己理解してみようと思う。
この矛盾めいた自分を抱きしめて進んでいく。
随時ブログを更新していくので、見守って頂けたら光栄です。
最後に~上司のパワーワードの行方~
色々迷ったが、結局あの上司の「君の長所が分からない。」という言葉の意味は未だ分からずです。
7月頃に四国に出張に行って、商品紹介後、新規のお客さんからサンプル依頼が来ていたのをきっかけにあまり気に掛けなくなったみたいです。
自分を悩ませたパワーワードの意味は分からずじまいですが、良い方向に転んでくれたので、全ては良しという感じだったと思うようにしておきます。
ただ、言えるのは「誰でも、今どんなに絶望でも必ず希望はある。」これだけは自分が言いたかった事です。
追記~これからの生き方~
書き忘れていたので、少し追記を。
これからの日本は少子化問題、利権を貪る官僚の裏金・献金問題や終身雇用の様な昔までは当たりまえに機能していた事が上手く機能しなくなっている時代になってきたと思います。
これまでは、誰かが敷いてくれたレールの上に乗っかるのが「正解」と言われていた時代が崩壊したのだなと感じます。
では、次の時代は何が大切になってくるのか?
それは、きっと自分達一人一人に託されたのではないでしょうか。
そのような意味で再度我々はどのようにこれからの人生を生きたいのかを問い続ける必要があるのかもしれません。
うつ病になってから7年の歳月を経てようやっと私が出した答えは、「後悔や悲しみ、失敗の中にしか回答はない。それを乗り越えた先にしか本当の答えはない。」です。
皆さんも是非様々な角度から覗いてみて、自分らしい答えを探してみて下さい。
次のお話は「トウモロコシ栽培奮闘記 ~夢をカタチにかえて 勝利の法則は決まった!~」です。
次回もお楽しみに。

