これまでのお話し
・奈良マラソンに応援に行き、マラソンの魅力に取りつかれる。
・神戸マラソン、淀川マラソンに出走後、大阪マラソンに一人で応援に行き、最後尾ランナーに感銘を受ける。
・懸命に練習し、目標を3時間30分切りを目指し、京都マラソンに出走する。←ここでは、このお話しについて記載します。
京都マラソンの前日譚

「大会受付のついでにとって貰った写真。絶対に3時間30分をと誓った。」
神戸マラソンや淀川マラソン完走や大阪マラソンの最終ランナーに感化され、たったの3カ月程で色々な事が起こったなぁとしみじみと思いながら、2019年2月16日朝から高揚感に浸っていました。
記録としては、30 kmを2時間30分程で走れていたため、目標タイム:3時間30分には届くと確信していました。
その日の朝はご飯をゆっくり食べてから大会の受付に行きました。
受付を済ませ、様々なパビリオンを見て回り、頭の中で当日のシュミレーションをしていました。
0 km~10 kmまで:キロ6分~5分30秒 予想タイム:53分~55分
10 km~20 kmまで:キロ5分~4分45秒 予測タイム:1時間45分~1時間50分
ハーフ予測タイム:1時間50分~1時間55分
20 km~30 kmまで:キロ4分45秒~4分30秒 予測タイム:2時間25分~2時間30分
30 km~40 kmまで:キロ4分30秒~4分15秒 予測タイム:3時間10分~3時間15分
40 km~完走まで: 予測タイム:3時間25分~3時間30分
大体これくらいの予想をしていました。
実際の所練習では30 kmまではそれくらいに近い記録を出せていたので、当日は問題はないと考えていました。
受付会場を後にし、家に昼過ぎに帰り、スポーツジムに行ってストレッチと筋トレをして夕ご飯を食べて体力温存のため、20時頃には就寝しました。
ちなみにその日の夕ご飯は貝汁とご飯でした。(どうでもいいわ!(笑))
京都マラソン大会当日

朝3時頃に起床し、朝ご飯を爆速で掻き込み(大丈夫!?)4時頃家を出てて、始発の電車に乗り込みました。
車内はガラガラだったので、ストレスはありませんでしたが、常に緊張で心臓はバクバクいっていました。
約2時間30分程で会場に着きました。(いや、どっかで泊まれよ!)
会場には6時頃につき、準備体操やお手洗いをすましていました。
遂に招集がかけられ、大きなスクリーンに映っていた人物とは・・・・・。

大体8時頃だったと思いますが、ランナーの招集がかかり、私も列に並びに行きました。
神戸マラソンや淀川マラソンのタイムが4時間30分だったので、ほぼ最後尾にいました。
A~Iぐらいまであり、私はF列なので、ほぼビリ欠でした。(笑)
9時近くになってランナー達が列に並び終え、ざわつきが無くなった頃に、遠くの大きなスクリーンからスポンサー様が挨拶し始めました。
ほとんどの人の挨拶も顔も名前も何もかも覚えてはいません。(失礼な!)
しかしながら、ある人の順番になった時に私の目が留まりました。
そう、その人こそが「山中伸弥教授」でした。
ただ、どのような挨拶だったかは忘れました。(おい!失礼!)
確か、「今日大会を開催できた事はとても光栄で、なんちゃら・・・・。」
的な事を言っていたように思います。(だから失礼!)
その時の私の頭の中では、
「夢は叶うんだ。
確かに距離はとても遠い。
大学の頃に本やテレビの中の人でしかなかった。
でも実際に、今本人に会っている。」
と思っていました。
その時は知らなかったのですが、山中先生もランニングが趣味だったみたいです。(山中先生ファンとしてはちょっとショッキング!)
挨拶が終了し、スタートまで残り1分程となり、会場は静まり返りました。
そして遂にピストルの音が鳴り、走り始めた。
0 km~10 kmまで
0 km~5 kmまではどうしても大勢のランナーが走り始めるので、ゆっくりとキロ6分~5分30秒程のスピードで走りました。
5 km程に松尾大社という所まで来てお坊さんが貝の笛を吹いて応援してくれたのを覚えています。
少しずつ周りのランナーもスピードに慣れてきたのか、少しずつ前後隣の間隔も空いてきていたので、私も体力を温存しつつ10 kmからのスピード上昇に向けて準備していました。
この時、スポーツジェルを4本持ってきていましたが、1本分の内半分だけ飲み干しました。
この時の10 kmのタイムは、1時間1分で通過しました。
10 km~20 kmまで
予想タイムよりもかけ離れていたので、10 km~20 kmでは少しスピードを上げ、キロ5分15秒~5分程のスピードで走っていました。
この10 kmは少しずつ周りのランナーを少しずつですが、追い抜かす事ができました。
この頃から、最初の10 kmに感じていた苦しさはなくなり、観客の歓声や風がとても気持ちが良く、ランナーズハイになっていた事を思い出します。
この時スポーツジェルは、残りの半分を飲み終えました。
この時の20 kmのタイムは、1時間52分で通過しました。
ハーフタイムは、1時間57分で通過しました。
20 km~30 kmまで
少しずつ予測タイムに近づいてきていたので、20 km~30 kmでは、キロ5分~4分45秒程のスピードで走っていました。
この10 kmは地形的には凹凸が激しくスピードを一定に保つことがとても難しくなっていました。
特に鴨川周辺では砂利道に態勢が崩されそうになっていたので、うまくスピードを出しずらく感じていました。
また、この頃はまだ足が重い感じはなかったのですが、「30 kmの壁」が見えてきていたので、カフェイン入りのスポーツジェルを飲み干して最後の10 kmに備えていました。
この時の30 kmのタイムは、2時間42分で通過しました。
30 km~40 kmまで
予測タイムに比べて10分も遅かったため、30 km~40 kmでは、キロ5分~4分15秒程のブレブレのスピードで走っていました。
ただ、この時気付いた事ですが、35 kmまでは足の重さは全くと言っていい程感じず、「30 kmの壁って何だろう?」と思うくらいに足がとても軽かったのを覚えています。
まるで後ろから風が吹いたのかな?2度目のランナーズハイ?と思うくらいに足が軽くなっていくような感覚だったのです。
ただ、35 kmを過ぎた頃から足が重たくなり、ようやっと私にも遅いながらも「30 kmの壁」を感じ始めたのだなと思いました。
また、39 kmあたりでふと気づいたのですが、観客達が
「山中先生!あと少し!」
「山中先生!頑張れ!」
「山中先生!ゴール」
と声が聞こえてきていたため、
私の心の中「あぁ、目と鼻の先にあこがれの山中先生が走っていたのか。
あと少しだったのに、惜しかった。」
と思ったものです。
また、この時は無我夢中で走っていたため、最後の1本のスポーツジェルは飲んでいませんでした。
この時の40 kmのタイムは、3時間29分で通過しました。
40 km~完走まで
もうこの時点で、3時間30分切りは難しかったのですが、その時の私にとっては必死必死でどれくらいのスピードで走っているかは分かっていませんでした。
そして遂に完走し、結果は、、、、、

3時間36分でした。
惜しかった。
目標タイムにも山中先生にも追い付きませんでした。
しかしながら、充実感があった。
たったの3カ月でも必死に頑張った事に対する自分への称賛が残りました。
そして次の目標に向かって頑張っていくための原動力になりました。
最後に
これで京都マラソンに出走した時のお話しは終わりです。
次回の予告ですが、次の大会に向けて走り出したのですが、練習をしていた際にどうやら怪我をしてしまいました。
という事で次回は、今できる事を全力で~逆境を味方に付けて~をしていきたいと思います。
次回もお楽しみに。

